願慶寺什物(寺宝)[絵画]

絹本著色 聖徳太子影像


一幅
江戸時代(年月未詳)
縦101.3 横48.0

願慶寺 白山市吉野 タ25−1

願慶寺は、真宗大谷派に属し、開基を敬恵と伝える。元亀元年(1570)から天正8年(1580)の本願寺と織田信長との石山合戦に際し、本願寺の教如(1558〜1614)が数年間当寺に難を避けたと伝え、山内庄内総道場として中心的役割を果たした。
讃なし。裏書を存せず。文化13年(1816)7月の『願慶寺五村并宝物帳』によると、東本願寺十三世宣如の下付という。宣如の在職期間は慶長19年(1614)から承応元年(1652)の間。願慶寺は、一向一揆以降の加賀藩内の真宗寺院の中でも、比較的早い時期(17世紀前半)に五尊を揃えて、寺院としての形態を整えたことがわかる。